「はは」
笑い声が出た。
「HAL9000か!最高かよ!わかってるな宇宙人!やっぱりSFと言えば・・・」
急に冷めた。
非常灯のようなランプが壁に埋め込まれている。
その下にボタン。カバーがしてある。
左右にはマイクがあるのか小さな無数の穴が円状に。
その上にはカメラかセンサーかの窓。
それは日本人的に言えば屋内用の消火栓に見えた。
「学校にあったよ。懐かしい・・・あの頃に帰りたい・・・そうでもないか」
返事は無かった。
何を言っているんだ俺は。
誰に話しかけている?
正気を保つ為だ。
彼女の言っていたボタンがある。
証言と一致している。
おかしいだろ。
こんな空間に不自然にボタンがあるなんて。
この部屋になんの意味がある。
何か意図がある。
「何もない空間にボタンがあると押したくなる生き物が人間なんだが、知っててやってるよね?」
誰に話しかけているんだ。
明らかに不自然。
押させたいんだ。
押したいという衝動が現にある。
「ここまで来ていながら敢えて押さない俺!ドヤァ・・・」
何も返ってこない。
馬鹿みたいだ。
誰に言っている。
落ち着かない。
イライラする。
メニューを開く。
ログアウトは出来るか。
いっそログアウトするか。
いや・・・ログアウトするとロビーに転送される。
部屋の時計を見た。
十一時を少し回っている。
とすると、押すならチャンスはこれ一回。
ログアウトすると通常はセンターロビーかメインロビーのいずれか設定された方に転送される。
グリンをマイルームに寝かせてから仮眠をとるつもりで自室に戻り横になったら予定以上に眠ってしまった。過眠障害の自分にとって眠りが少ないのは徹夜に等しい。あれ以来かなりもつようになったとはいえ流石にそこまで無理は出来ない。
ここまで来るのに実時間で二時間近くかかっている。
ゲームなら確実にセーブポイントだろう。
「一旦落ち着こう!」
立ち上がった。
まだ時間はある。
判断に迷った場合、無理に決めるのは危険だ。
「優柔不断ね」
不意に元彼の言葉が脳内で再生された。
「馬鹿だからな」
赤いランプを前にロビーに立ち尽くすシューニャを見る。
艶やかで精気のある黒い肌。
肩甲骨まである黒髪。
フレンドからは「安産型が好きなんだね?」と言われた。
アバターは黒の燕尾服。
(なんでこの服で行こうと思ったんだ)
手品師が着るような燕尾服がベースデザインだろう。SF風にリ・デザインされたアバター。白いベストがコントラストになって美しい。
(迷彩にすれば良かったな・・・)
迷った場合、止めることこそが最適だと聞いたことがある。
後悔の無い行為、少ない行為には迷いがないと言う。
IQの高い人間ほど即決が出来て間違いが少ない道を比較的選ぶ。
仮に望む結果が得られなかったとしても間違いだったとは思わない。
(IQの低い人間ほど迷い、後悔を引きずるんだっけ・・・)
一旦忘れて、それでも気になるのならやった方がいいと言われたな。
「迷うなら止めたほうが良い。取り敢えず保留して、それでも気になるならやったほうが良い。やったのなら悔やまないほうが良い・・・」
(これ・・・先生の言葉だったな・・・忘れていた・・・)
ポットからお湯を注ぎ、粉末のインスタントコーヒーを入れる。
固形の黒砂糖の味になれると白砂糖や三温糖には戻れなくなった。
ミルク用に牛乳も買う。
「あ~・・・甘い。安心する」
部屋を見渡す。
サイキに提供された社員寮。
充分な広さ。
一畳ほどのキッチン。
ユニットバス。
八畳のリビニング。
四畳半の寝室。
(畳が恋しい・・・)
あの帝国ホテルんの一件よりここに住んでいる。
顔を触る。
全身を弄る。
見慣れた腕、見慣れた太腿。
腕の匂いを嗅ぐ。
生きてる。
(臭いな・・・そう言えば風呂に入ってない。何日入ってないんだろう。以前は三日も入らないと皮膚炎で痛くてのたうち回ったのに・・今はそこまででもない・・・どうして?)
カーテンはずっと閉めている。
「食べないのに殺すのは怖いから、か・・・」
STGを提供している宇宙人は無条件に善だという認識があった。
(食べないのに殺すのが怖いなら・・・地球人はどうなるんだ・・・)
あれほど巨大な建造物を遥か銀河の彼方よりいつの間にか運んでSTGを建造している。運搬された様子を見た記憶が無い。リーダーの話では宇宙人はどのルートを使って運ぶかは極秘だと言っていたそうだ。理由は簡単。彼らの星が隕石型宇宙人にバレないとも限らないからだそうで、それは当然の予防に思える。
「子供の頃にテレビで見たUFO特集面白かったなぁ・・・唯一あれが怖かった」
キャトル・ミューティレーション。
人間もあり得ると考えたからだ。
(ヒューマン・ミューティレーションってのは現実かもしれないな・・・)
ココへ来てからというもの独り言が減った。
サイキのことは信用していたが、どこに盗聴器が付いているかわからない。
彼がではなく、狂信者達による。
(宇宙人は人間で実験をしているのだろうか?)
エジプトのピラミッドは宇宙人が作ったという着眼点は今でも根強い信者がいる。
信じていない自分を友人・知人はリアリストだと言った。
自覚は無い。
普通のことだと思うが。
(これは現実なんだよな)
部屋は閑散としているが必要な家具は全て置いてある。
ウィークリーマンションのようなものだろう。
(このご時世に立派なもんだ・・・わからないもんだな・・・毎日死ぬ思いで働いている人間がいるというのに、こんなに楽な環境もあるなんて・・・)
カーテンの隙間から外を少し見る。
窓が小さくとても窮屈。
耐震性を満たす現代建築の典型的な監獄のような外観。
彼が住んでいた旧来の開放的なアパートとは真逆である。
十回建てのマンション。自分は六階。三階~六階が彼の会社の寮として借りているのだろう。
寮と言っても昔と違って寮母さんがいるわけでも社員食道があるわけでもない。だが、一階がイタリアンレストラン、中華、カフェになっており社員なら割引で食べられる。実質社員食道みたいなものだ。彼は利用していなかった。
(近間は危険だ。身バレし易いし)
人は見てないようで見ているもの。当初は多くの犯罪者がこうした恐怖を抱えながら逃走しているかと思うとスリリングでもあったが、そうした感覚は最初の数日で消え失せ今は静かな恐怖だけが残った。
「十一時三十四分・・・皆どうしているんだろう・・・」
サイキのお陰で普通の食事が出来る。
必死こいて働いた時は出来なかったゆったりとした時間。
単にゲームをしているだけの自分。
彼の会社の社員は必死で働いているのだろう。
それとも違うのだろうか?
テーブルの手帳に目を落とし、めくった。
手帳には自分が返すべき金額が書かれている。
レシード等も全部とっておいてある。
真面目過ぎる気がしないでもない。
でも嘗ての日本人は真面目だったからこそ突破してきた困難が多いと彼は感じ入っていた。工芸も芸術も製品もサービスも。
それら全ては日本人が真面目だったからだ。
その恩恵を今の我々は受けて生きているに過ぎない。
会社での出来事を思い出し眉を寄せた。
(遠からず崩壊の時を迎えそうだが・・・)
サイキは今も尚このゲームのことを考えているのだろう。
”STG28”のことを。
(ゲームなのか、リアルなのか・・・)
もし単なるゲームなら悪質過ぎる。度が過ぎている。でも「ドッキリでしたー」と言われれば怒りより安堵感の方が強いかもしれない。泣くだろうが。その後に腹がたつだろう。
(ひょとしたら集団心理の研究かもしれない)
許可した記憶はない。
勝手にやるなんてありえないだろ。
ゲームであって欲しいと思っている自分がいる。
リアルならどうだ。
どう捉えていいかわからない。
次の瞬間に隕石型宇宙人が土星規模の惑星を連なって襲ってこないとどうし言い切れる。
あの日も突然だった。
ブラック・ナイトが現れた日。
先の大戦も。
(ゲームなら完全に詰んでるぞ・・・)
サイキさんならどうする?
サイトウなら?
なんで宇宙人は国連とかに行かないんだ。
(それはサイキさんが言ってたな・・・)
嘗て宇宙人は国連や一部の大国に持ちかけたらしい。
しかし最終的には決定的な決別の時を迎えた。
プロジェクトはことごとく崩壊し、地球にはその残骸だけが残った。
以後、宇宙人は一切相手にしていないそうだ。
地球からの通信は届いているが無視していると。
崩壊の理由はわからないと言っていたが推測は出来る。
地球人が欲深すぎたのだろう。
何か決定的なものを引き出そうとした結果、逆鱗に触れたのかもしれない。
政治でよくあるし、会社でもよくある。
欲をかきすぎた結果、突如として崩壊する。
知らず虎の尾踏む。
崩壊が始まると止めることは出来ず、一気にその日は訪れる。
蜘蛛の子を散らすようにいなくなる人々。
誹謗中傷。
陰口。
動きが遅すぎたというのも上げられそうだ。
国や国連となったら早々には機敏に動けるはずもない。
対して隕石人はいつ何時来るかわかったもんじゃない。
個人なら別だ。
フットワークは軽い。
(その為のヒューマン・ミューティレーション?)
国はどういう交渉したんだろうか。
彼らは何を見たんだろう。
何が原因なんだろう。
グリンのマイルームにあったマネキンは何だ?
「あ・・・」
もしこの画面上の出来事が遠く遠く遥か銀河の果で実際に起きていると仮定して。
地球にもある無人機のようにSTG28が物理的な存在で、それをリモートコントロールしているとしたら、あのプレイヤーアバターはなんだ?
(疑わなかった。考えたことなかった・・・)
まさか・・・人間?
いやいやいや!それは無い。
キャラクターメイキングで俺が作ったんだ。
物理的存在じゃなくてホログラムかなんかだろ。
あくまであれはビジュアル上の存在であって実際は搭乗する必要がない。
(そうだよ。無人機だってコックピットはない)
「そうだ!間違いない」
パートナーだってホログラムビジョンじゃないか。
あれはあくまでビジュアル上の演出だ。
百歩譲って物理的存在だったとしても生物である必要がない。
機械人形だ。
(じゃあ、グリンのマネキンはどうして腐っているのもあったんだ?)
「演出だ」
それとも生体人形?
でもキャラクターメイキングしたのは俺だから。
キャラクタクリエイトしてからログインする間にして即出来ているなんて。
(でも・・・チュートリアル等でビジュアルが出るまで少し間はあった)
物理的な素材を運ぶのはさしもの宇宙人も大変らしいとサイキから聞いたことがある。
むしろ生物の方が培養できるかもしれない。
STGの素材は隕石型宇宙人から一部出来ているのは知っている。
修理素材で近々で必要なものは回収してくるのだ。
そうした素材では出来ないものは彼らの星、もっとも前進基地だろうが、そこから運ばれるようだ。それは常に危険を伴うだろう。先の大戦後の本拠点修復では大幅な遅れがあった。
動物園の熊のように室内を行ったり来たりする。
時計を見た。
十一時五十分。
外から見たマザールームを思い出す。
吹き抜けのセンターロビーに天にも届かんばかりの巨大な塔。
全貌が見えないから塔かどうかもわからないが。円柱とも言える。ある研究では上部ほど細くなっているらしい。そのことからも塔っぽいと言える。もっとも誰もが見れる図面上では塔でないとわかる。マザー信仰の連中は「陰謀だ!」と、マザーから出たはずの図面すら疑う始末だった。
マザー・ルームの一部ならどの階からも見ることが出来る。
自ずと集合場所にもなる。
「三階マザー前の案内板ね」とか。
各階とも目に見える高さの範囲は一メートルといった程度だが、ほぼどこからでも見えた。
(初めて見た時は興奮した)
まるで自分がSF映画の登場人物になったかのような錯覚をおぼえたからだ。
その光景はまさにSFだった。
ログイン時には多くの者が興奮と畏怖の念をおぼえたと言う。
それがマザー・ルームだった。
何があるのか、何をしているのかは簡潔に説明されている。
STGや武装の建造や、修復、パーツの研究開発等。
つまり心臓部にあたるものは全てマザー・ルームで行われているらしい。
完全自動で動いている為に人の手を必要とせず安全の為に人は入れない。
STGにおける契約の更新の歴史を読むと、嘗ては自由に入ることが出来たようだ。
ところがマザーを牛耳ろうとした一部勢力との内戦により危機的状況に陥ったことがあると書いてある。彼らはマザー・ルームを分析しクーデターとでも言うべき計画を執行したわけだ。それは日本だけではなく海外でも起きたらしい。
結果として人が入ることで何らメリットが無いことから、世界的な合議の元で完全自動化と、完全にランダムに選ばれた一人の”証言者”をもって互いの信用とし、以後、安定をみている。
ランダムと言ってもプロフィールデータの一つである”ヘイト値”が高い搭乗員は弾かれる。またヘイト値を不用にコントロールした者も同じだ。違反をしていないのに違反行為を報告する等もヘイト値を高める。こうした数値はヘイトダウン行為をしない限り減ることはない。それらは全て明らかになっている。特定の団体が極端に過激な行動に出られないのもそれが理由となる。
地球人と宇宙人との信用関係維持の為に交わされた契約都合上の一人。
日本では選ばれたプレイヤーを勝手に「宮司」と呼称している。
正式には”証言者”もしくは”メンテナンス要員”。一般的には後者だが”宮司”の呼び方の方が日本では有名だ。
任期は一年。
昔の任期は決まってなかったようだが後に宇宙人と交渉し一年にしたと言う。
なるには一つだけ条件を飲む必要がある。
”入室時の記憶を消す”
同意出来ないプレイヤーは宮司には選ばれることはない。拒否も可能。名誉ある職のように思われている為に断る者はまず居ないが、断った者も少なからずいる。有名なところではアカウントを削除された方の「サイトウ」。そして「ドラゴンリーダー」、「竜頭巾」、「ケシャ」は通知を無視していたら時間切れになり、結果的に断る形になったと聞く。シューニャの知るところではそれぐらい。外のフレにも断った者はいた。
プリンは受けたことがあるらしく「何があったか、何をしたか全く覚えていない」と楽しそうに語った。「怖くないの?」と聞いたが「またやりたい!」と答えた。
リーダーが断った理由は単純で「記憶が無いなんて気持ち悪いわ」であった。竜頭巾「何をされるかわからない」、ケシャは「興味がない」ということらしい。
全くどいつもこいつも身勝手で笑える。俺がマザーなら「なんなんだ地球人は!」と思うだろう。とはいえ自分に回ってきたらとリアルに考えると「断る」だろう。リーダーの言う通りだし、竜頭巾とも同意する。
彼らには無いのだろうが、私にはリアルに記憶が完全に途絶えるという現象が何度かある。あれは実に奇妙な感覚で、凡そ心地のよういものではない。
(出る際は記憶が消えるのだろうか?)
歩き回るのを止めた。
「セーブね!」
誰に言うでもなく声を上げた。
パソコンの前に戻る。
彼は赤々と光るランプを見ると、無言でボタンを押した。
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